推しを推すと決めた日
2月9日。
『肉の日』以外に大した記念日も制定されていなさそうな今日は、私のライトすぎるヲタ活における個人的な記念日です。
語彙力が無いくせにやたら文章にしたがるタイプの面倒くさいヲタクなので、Snow Man担としての私の"今"をここに書き留めておきます。
1年前の今日、私の姿は京都南座にありました。
ちょうど12時前頃。
母と共に京都駅からタクシーに乗り、
「南座前の交差点は信号が変わるのが早い。
そのくせ交通量が多いから、待てど暮らせど進めない。
慣れた方だと、信号待ちの間に降りて行きはります。」
と言う運転手さんの言葉に
(それは京都語で、今ここで降りろという意味か…?)
などと邪推しながらも、よそ者らしい図々しさで四条通で下ろしてもらい、開演までは時間があるから、と建仁寺をぶらついていた、2019年2月9日。
今日は、1年前の私が「目黒蓮を推すと決めた日」。
そもそも、受験と病気をきっかけにジャニヲタを離れて久しい私が、なぜ『滝沢歌舞伎ZERO』を観に行くことになったのか。
そのきっかけは、母がチケットを取ったことでした。
元担の影響で滝沢歌舞伎の存在を知り、過去の円盤を買い集め、
「一度は滝沢歌舞伎を観に行ってみたいね」と言い続けて7年。
「でも東京は遠いから、なかなか行けないね」と見送り続けて7年。
私が自分の人生で頓挫している間に、“滝沢”歌舞伎を観ることは二度と叶わなくなりました。
“推しは推せる時に推せ”とはよく言ったもので、悲しい哉、私はそれを、身をもって知ることとなったのです…。
さて、私のジャニヲタ人生における最大の後悔のお話はさておき、そんな憧れの舞台『滝沢歌舞伎』がその語尾に“ZERO”を付し、主演をSnow Manに据えて、京都南座にやってくるという話に、真っ先に飛びついたのは母でした。
私同様、“滝沢”歌舞伎をその目で見ることの叶わなかった後悔を感じていた母は、持ち前の行動力ですぐさまチケットを取り、大学に進学し体調も安定した私に
「歌舞伎が京都に来る。1人で行くのは寂しいから付き合って!!!」
と懇願してきたのです。
「いやぁ、でもタッキーじゃないんでしょ…?」
そう返した私を、1年越しに今ここでグルグル巻きにしてシバきたい…!
(分かる方には分かる、WESTネタ笑)
そんなこんなで母の頼みは断れない娘は、渋々京都南座へ赴くこととなったのです。
そうは言っても、私が知る滝沢歌舞伎の記憶は2012年で止まっていました。
ちょうど現ジャニーズWESTの4人が、関西Jr.から選抜隊で出演していた年。
そして、6人がSnow Manになった年。
あれから7年が経ち、演出も大きく変わっているに違いない。
観劇するなら、少しでも予習をしておきたい。
という持ち前のヲタク根性で滝沢歌舞伎2018の円盤を購入し、私はそこに目黒蓮を見つけたのです。
あれ、小瀧さんいつの間に歌舞伎に?と疑ってしまうほどとにかく小瀧望で(だから語彙力)、名前も分からなかった私の目黒さんへの呼び名は「のんちゃんに似てる子」。
ごめんね、ほんと…小瀧さんライトに推してたからさ…
Snow Man増員の一報が私の元に飛び込んできたのは、その矢先のことでした。
ラウール…?え、向井康二…!?!?!?
そして小瀧!!!!!!!?!?!?!?(※小瀧ではない)
いやビックリするよね…
だってつい先日気になった子が、「Snow Man新メンバー」として新聞に載ってるんだもん…
学校で好きになった子が、母親の再婚相手の連れ子だったみたいな衝撃よ(分かりにくい例え)
先程「元担の影響で滝沢歌舞伎を知った」と書きましたが、
Snow Manは元担直属の後輩なので前身グループ時代からよく知っていて、
滝Channelなんかにもよく登場してタッキーにドッキリをかけられまくって、
その度に全員でぴーぴー泣いちゃうそれはもう可愛い存在、
元担のデビューイベントのお手伝いにも来ていて、
何なら滝沢革命の時に帝劇の地下で暇つぶしをしていたら、
駅の改札を抜けてくる阿部ちゃんとすれ違ったこともある程馴染みのあるグループで。
そんなグループに、あのテクノカットの小瀧さんが…?(※小瀧さんではない)
とまぁこれだけ書いておきながらも、目黒さんに関して思ったことはその程度で、後はひたすら康二くんの心配をしていました。
元エイターにとっては、関西の息子だもん…。
関西とは絶対にノリが違うSnow Manに入って、馴染めるのか。
1人浮いてしまうのではないのか。どうして康二くんを選んだのか。
康二くんはSnow Manに必要な存在なのか。康二くんが抜けた関西は、どうなる。
スノ担の皆様が言う通称「あの日」、私はそんなことを考えていました。
大丈夫です、1年前の私。
康二くんはSnow Manで楽しそうにしています。
当初猛アタックをかけていたしょっぴーはお家に泊まりにくるようになり、
舘様とはよくご飯に行くようになり、ふっかに膝枕してもらい、
その他にも書き切れないくらい沢山の絆を8人と繋いでいます。
そしてあなたの言う「テクノカットの小瀧」の物真似を楽しそうにして、
お尻をキックし、胸を揉んでいます(語弊)
めめこじの話はさておき、私は目黒さんに対しては前述したように
「学校で好きになった子が、母親の再婚相手の連れ子だった」
みたいな感情を抱いたまま、『滝沢歌舞伎ZERO』を観劇したのです。
席は2階席2列目下手側。
お顔はよく見えなくても、8人が晴れやかな表情で笑っているのが分かった。
ピンクのお袖が可愛いお衣装に、大量の桜の花びらが降った時、私は泣きました。
その演出は2010年に見た、平将門のラストシーンによく似ていて。
レポを書こうと思って観劇した訳じゃないし、1回切りの観劇で予備知識も少なかったから、正直細かい演目はほとんど覚えていません。
ただ幕が上がった時、そこに立つ8人の姿がとても美しくて、訳の分からない感情で胸がいっぱいになったことだけはしっかりと覚えています。
公演終わり、帰りの電車内で名前の付けられない感情を抱いたまま、人生で初めて“Snow Man”で検索をかけました。
そこで歌舞伎レポと共に私の目に飛び込んできた、新加入の3人に向けられた無数の刃を、私は絶対に忘れません。
大きく傷つけられた3人の綺麗なお顔と、それから目黒さんのブログ。
即座にWebに加入し、目を通したその文章からは、22歳の精一杯の強がりと、皮肉のような言葉の後ろに隠れた彼の悲痛な叫びが聞こえた気がして。
あれほど痛いくらいに行間から書き手の気持ちが真っ直ぐ伝わってきた文章は、後にも先にもあれが初めてでした。
この子が紡ぐ物語が見たい。
このどこか幼く、それでいて真っ直ぐで、強くあろうと必死にもがく
1人のジャニーズJr.が紡ぐ物語を、その無限の可能性を、
そして彼を待つ計り知れない未来を、見届けたい。
そう思った時、私は目黒蓮を、自分の人生で4番目の推しと決めたのです。
当初は目黒さんの人間性がイマイチ掴めず、「見誤っていたらどうしよう」などと余計な心配もしていました。
ヲタクである以上、どうしても推しに「こうであって欲しい」という期待と、そうでなかった時の失望は付き物で。
ヲタクってほんと、面倒くさい生き物よね(;´∀`)
あれから1年。
目黒さん。
あなたは期待を裏切るどころか、いつもその遥か上を行ってくれますね。
お陰で私のあなたに対する「こうであって欲しい」という意識は、次第に消えつつあります。
あなたに期待しなくなったんじゃない。
純粋に、あなたが紡ぐ物語を、劇場の真っ赤なベルベットの観客席に座り楽しめるようになりました。
大笑いすることもあれば、手に汗握ることもある。もちろん、涙することだって。
いつかは私がこの席を立ち、別の子の物語を観るようになるかもしれない。
いつかはあなたが、その物語に幕を下ろす日が来るかもしれない。
それでも。
1年前の今日、この観客席に座ろうと決めたことを、私は一生後悔しません。
2月9日。
『肉の日』以外に大した記念日も制定されていなさそうな今日は、
私が推しを推すと決めた日。